20世紀中国政治史研究(’11)

主任講師: 西村 成雄

アジアの中の日本が、中国という政治的存在をどのように認識してきたのかを含め、100年中国の政治史を一望のもとに俯瞰しうる論理を提起したい。第一に、政治的支配の正統性問題からみた100年中国の変容過程と、第二に、正統性の対外的資源としての国際的地位の変容過程をあきらかにしたい。 検討中リストに追加

各回のテーマと放送内容

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第1回 20世紀中国の政治空間 -その国民国家形成と正統性原理-
21世紀に入り、内外ともにその政治経済的存在感を高めている中国について、20世紀史的な歴史的視点と現状認識的視点という複眼的視野のなかに位置づけなおし、現代中国の再認識を試みたい。それは、近代国民国家体制の生成と展開過程、さらに変動過程を、国家の政治的支配の正統性原理と制度化がどのように社会の側に受容され抵抗を受けたのかという分析課題にほかならない。つまり、対内的正統性の磨滅流出、あるいは社会内部からどのように新たな正統性が構築されたのかという政治史としての諸局面をあきらかにしたい。とともに、そうした政治体制変動に影響を与えた国際的条件と対外的正統性の内部化過程についても視野に入れて、20世紀中国政治をとらえなおすことにある。
担当講師: 西村 成雄 (大阪大学名誉教授)
第2回 長い20世紀のはじまり -国際的条約の内部化と清朝正統性の再調達-
中国世界が世界の中の中国へと移行する中で、1895年の日清戦争の敗北は清朝中枢権力の構造的変容をもたらした。1898年の戊戌変法は長い20世紀の起点であった。清朝は20世紀初頭の10年をかけて、その政治的支配の正統性を再編し、1907年には立憲主義の導入にふみきった。資政院という国会も開設したが、その正統性はもはや社会に受容されないほどの政治的矛盾のなかにあった。立憲君主制導入の歴史的意味をとらえなおしたい。
担当講師: 西村 成雄 (大阪大学名誉教授)
第3回 立憲共和制の国家正統性 -中華民国北京政府の政治変動-
清朝の支配の正統性は、1911年武昌起義のなかで崩壊した。あらたな政治的正統性を提起したのは孫文を中心とする革命派であり、1912年1月南京に中華民国を樹立し、2月には清朝皇帝を退位させた。ここにアジアで最初の立憲共和制国家の誕生があり、1913年には議会が開設された。その後1925年頃までは総統制、議会制、さらに北京政府の対外的対内的正統性が承認されていた。
担当講師: 西村 成雄 (大阪大学名誉教授)
第4回 中華民国再生への道  -新たな国家・政府正統性構築-
袁世凱死後の北京政府の正統性を否認して、孫文らは1917年広州に中華民国臨時約法の回復を主張する政府を樹立した。中国国民党による国民政府樹立の1928年までの約10年間は、政府レベルの正統性は事実上の分裂状態となった。1924年国共合作のもとで北京政府打倒をめざし、その後広州、武漢、南京の国民政府が組織され、1926年には対外的にもその正統性を獲得した。
担当講師: 西村 成雄 (大阪大学名誉教授)
第5回 中華民国「党国体制」の正統性 -政治統合ともう一つの「党国体制」-
1928年10月、国民党は「訓政綱領」を決議し、国民党訓政下の中華民国国民政府の樹立を明確にした。国民党が政府と一体化するという「党国体制(政党国家ともいう)」の政治的経路が創出された。その実施過程には中国共産党鎮圧作戦も含め曲折があったが、蒋介石への権力集中がすすみ、「南京の10年」といわれる国家建設と国民統合政策が展開した。この間、1931年満満洲事変後の民族的抵抗は中国政治のあらたな正統性根拠となった。他方、中国共産党は1931年中華ソビエト共和国を樹立し、中華民国と対抗した。
担当講師: 西村 成雄 (大阪大学名誉教授)
第6回 「党国体制」下の憲政移行プログラム  -「五五憲法草案」と西安事件-
1928年10月の中国国民党「訓政綱領」と31年6月の国民会議制定になる「訓政時期約法」は、中華民国憲法に準じる根本法の制定であった。それらは、国民の政治的代表をア・プリオリに中国国民党を等置した「政党国家体制=党国体制」を法的に確認したものであった。訓政時期約法は「人民」自身が主権を行使しえない「党治」(訓政論)として規定された。中国国民党を「国民代表」として擬制することによってその支配の正統性を確保しようとした。しかし、約法そのものが、「憲政への準備段階」にあることを明文化していたこともあって、1932年12月には立法院院長孫科を責任者とする「憲法起草委員会」が国民政府内に組織され、1936年5月5日に「憲法草案」が公布された。これは、憲政運動のひとつの到達点であった。「憲法草案」第4条の領土規程に、東北四省の回復を明記したことは「西安事件」の契機でもあった。
担当講師: 西村 成雄 (大阪大学名誉教授)
第7回 日中戦争と国民政府正統性のゆらぎ  -「国民参政会」の新経路-
日中戦争が本絡化したもとで、国民政府を指導する国民党にとって、全民族的抵抗をどう組織するかが重要な政治的課題となった。1937年には第二次国共合作を実現した。1938年設置された国民参政会は、中国共産党などの党派も参加しうる事実上の政治的なプラットフォームとして機能した。と同時に、国民参政会は、国民党訓政そのものの基盤をゆるがし、連合政府樹立プランすら提起され、これが新たな中国政治の正統性の創出につながった。
担当講師: 西村 成雄 (大阪大学名誉教授)
第8回 戦後中国における二つの正統性の相克  -その政治的帰趨-
第二次世界大戦の終結とともに、中国政治空間には「三国五方関係」という構造が生まれた。アメリカ、中華民国、ソ連の三ヵ国と、中華民国内の中国国民党、中国共産党、第三政治勢力という三方関係がアメリカやソ連と関係する五方関係の政治的対立が明確となった。この政治的構図は、1945年10月の重慶会談、46年1月の政治協商会議を経た多党派による聯合政府論と、46年11月国民党による訓政下の国民大会開催によって、明瞭に対立する二つの正統性として示された。国共内戦の軍事的帰趨は、中共軍の48年11月の東北解放を契機に、中国共産党指導下の、新国家建設のための新政治協商会議路線が推進され、中華民国とは異なる新たな国家・政府正統性を獲得することになった。
担当講師: 西村 成雄 (大阪大学名誉教授)
第9回 中華人民共和国の国家正統性構築  -「冷戦」から」「中ソ対立」への17年-
ソ連社会主義圏の一員として参入した中華人民共和国は、朝鮮戦争への動員を通じて、社会主義圏内および国内的にその政治的正統性を確立した。1957年以降、スターリン死後のソ連とは異なる社会主義への道を主張し中ソ対立にまですすんだ。この間の社会主義的経済建設によって国有経済の優位するシステムの構築と、政治権力の中国共産党への集中をはかった。建国当初の民主党派を含んだヘゲモニー政党制から事実上の一党制へと転換した。さらに政治的に毛沢東個人の優越的地位を認める段階へと移行した。
担当講師: 西村 成雄 (大阪大学名誉教授)
第10回 「文化大革命」の正統性資源とその崩壊  -毛沢東政治の臨界点-
1966年にはじまる「プロレタリアート文化大革命」は、党というより毛沢東個人への忠誠を前提とした一元的政治支配体制に移行し、政治経済的、さらには社会的混乱を生みだした。国際的にはソ連に対抗する必要性のなかで、1972年には対米国交回復へ転換した。その前年、中華民国に替わって国際連合の常任理事国として国際社会に復帰した。しかし、毛沢東の国内政治は、その極限にまでゆきつくなかで、毛沢東派と、中共党組織の回復をはかる現実主義的政治勢力の対抗を生みだした。76年9月毛沢東の死を契機に、その個人に集中した政治支配の正統性は崩壊し、現実主義的な党の担い手が復活し、新たな支配の正統性を再調達することになった。
担当講師: 西村 成雄 (大阪大学名誉教授)
第11回 ポスト毛沢東・鄧小平時代の幕開け  -華国鋒からの実権奪取と改革・開放路線のスタート-
毛沢東後の最高指導者に就いた華国鋒だが、毛沢東を絶対化し、固守することで、政権掌握の正統性の根拠としたが、自ずと限界があった。逆に毛沢東を否定することで、台頭したのが鄧小平だった。軍権を掌握し、「2つのすべて」を論破したことで、鄧小平は1978年の11期3中全会で実権を奪取した。そして後に高度経済成長へとつながる改革・開放路線がスタートした。鄧小平は、「4つの基本原則」を提唱し、「党と国家の指導制度の改革について」で政治制度改革の方針を明らかにした。この2つは、その後の党の指導の基礎をなすものとなった。

担当講師: 佐々木 智弘 (防衛大学校准教授)
第12回 改革・開放の進展と六四天安門事件  -鄧・胡・趙のトロイカ体制と長老の抵抗-
改革・開放が進展し、市場か計画かのイデオロギー対立が生起すると、改革派は胡耀邦や趙紫陽らの推進派と長老らの慎重派に分かれた。そして社会からの民主化要求がおこると、改革派内の分裂に党の指導の是非をめぐる対立が反映され、政治闘争にエスカレートした。それはさらにポスト鄧小平をめぐる権力闘争へと転化したのが、1986~1987年のブルジョア自由化反対闘争と1989年の六四天安門事件であり、胡耀邦と趙紫陽が失脚の憂き目を見たのである。
担当講師: 佐々木 智弘 (防衛大学校准教授)
第13回 六四天安門事件の後遺症と市場経済化の進展  -鄧小平時代の終焉-
六四天安門事件後、趙紫陽を失脚させた慎重派の攻勢が続き、さらに国際的な対中制裁も加わり、改革・開放は一時的にストップした。鄧小平は1992年初頭の南巡講話を機に流れを改革・開放の加速に転じた。総書記就任当初はリーダーシップにかけた江沢民だったが、第14回党大会で社会主義市場経済を掲げ、改革路線の継承を宣言し、最高指導者としての権威の確立に邁進した。そして1997年2月、鄧小平が死亡し、改革・開放を突き進んだ鄧小平時代は終焉を迎えた。
担当講師: 佐々木 智弘 (防衛大学校准教授)
第14回 新たな一党支配の正統性の模索  -江沢民「三つの代表」と胡錦濤「調和社会」-
新たな最高指導者、江沢民と胡錦濤は、市場経済化、グローバリゼーション、社会階層の変化に対応した新たな一党支配の正統性の模索を迫られた。江沢民は「3つの代表」重要思想を提示し、階級政党から国民政党への転換を打ち出したかに見えたが、政権安定のために台頭する私営企業家の共産党への取り込みを図り、エリート政党色を強めた。胡錦濤は「調和社会」の構築を掲げ、社会の不安定要素となっている格差の縮小を政権の至上命題としている。この弱者重視の「調和社会」の実現が共産党の新たな一党支配の正統性になりうる可能性を有している。
担当講師: 佐々木 智弘 (防衛大学校准教授)
第15回 21世紀中国における政治的正統性変容の諸条件
2001年12月のWTO加盟承認が、鄧小平政治の経済的配当として国際的に振り込まれたとすれば、それは20世紀、100年中国の政治的帰結点でもあった。第4四半世紀段階の中国政治空間は、経済的中間層の生成と蓄積を社会的基盤として、新たな政治的正統性を制度化する可能性を内在させている。と同時に、この間の経済的格差の増大に象徴される社会的経済的矛盾の激化が、どのような新たな政治的課題を生みだしているのかに注目したい。もちろん、政治共同体内の民族問題や台湾との関係が国際問題化する条件もあり、それらを含めた総合的かつ内在的中国理解が必要となっている。
担当講師: 西村 成雄 (大阪大学名誉教授)

放送メディア:

ラジオ

放送時間:


2016年度 [第2学期] (土曜)
6時00分〜6時45分

単位認定試験 試験日・時限:

2016年度 [第2学期]
2017年1月21日 (土曜)
3時限 (11時35分~12時25分)

開設年度:

2011年度

科目区分:

大学院科目

科目コード:

8930597

単位数:

2単位
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