「読売新聞」に奈良由美子教授の記事が掲載されました

2022年4月24日「読売新聞」に奈良由美子教授の記事が掲載されました。新規タブで開く

2022/04/24 [あすへの考]「正しく恐れ」有事を生きる 放送大学教授 奈良由美子氏 57
 ◎リスクコミュニケーション 
 ◆状況認識を共有し、均衡点見つける。信頼、共感は大切な要素
 ◆コロナ 行動変容促すなら、根拠・支援・見通し欠かせない
 感染症や自然災害、食の安全など、私たちの身の回りには様々なリスクがある。緊急事態に際し、感情に流されて物事を判断することなく、リスクを的確に理解し、過剰反応も過小評価もしないようにする――。そのためには、どうしたらいいのか。新型コロナウイルス感染症で私たちが実感したのは、「正しく恐れる」ことの難しさだ。
 リスクコミュニケーション(リスコミ)は、リスク情報を多くの人が共有しながら最適解を探る手法だ。その専門家である放送大学の奈良由美子教授は、一方通行の情報発信ではなく、双方向の対話こそがリスコミの本質だと指摘する。市民が疑問や不安を率直に語り、それに耳を傾ける姿勢が求められ、信頼や共感が重要だと訴えている。(調査研究本部 佐藤良明)
 人が100人いれば100通りのリスクの捉え方があります。そこで、状況認識を共有し、みんなが納得のいく均衡点を見つける。そんな活動を個人や機関、集団の間で双方向に意思疎通しながら進めるのがリスクコミュニケーションです。今がまさに危機の場合もあれば、将来に備えるケースもあるでしょう。リスコミには、市民、行政、企業、メディア、専門家といった多くの当事者が関わります。
 企業や自治体などでリスコミについて話をする時、「リスコミが誤解されているのではないか」と感じる場面があります。
 例えば、リスコミとは「一方向の情報発信」で、「有事の営み」であり、「相手を説得するための情報戦術」と考える人がいます。
 だが、いずれも当てはまりません。情報発信だけでなく、対話や調査分析も伴う活動ですし、説得はしません。有事に加え平時のコミュニケーションも同じくらい重要です。普段できないことはいざという時にもできません。
 リスクを限りなく客観的に判断するには、時間とお金をかけてデータを集め、分析しなければならない。専門家はともかく、市民はそこまでできません。
 そのため、例えばメディアでよく見聞きするなど思い出しやすいものをよりどころにしたり、感情の影響を受けたりして、私たちは手っ取り早く直感的にリスクの大小を判断しています。ヒューリスティックと呼ばれる思考法です。
 コロナ禍で「正しく恐れる」という言葉がよく使われました。それには、市民に正しい情報を発信するだけでは不十分なのです。どのように受け止められるか、までを考えなくてはなりません。
 こうした前提で、どのようにリスコミを進めていけばいいのでしょうか。望ましくないのは、情報を出し渋ったり、あいまいな言い方をしたりすることです。そうなると、「あの人の言うことは信用できない」と、不信感が生まれてきます。極端な場合、リスコミをすればするほど、期待する行動をとってもらえなくなるというパラドックス(逆説)が生じます。
 肝心なのは信頼の醸成です。科学には限界があって、専門家にも答えられないことが少なからずあります。情報発信者は「ここまではわかっています」「ここから先はわかりません」と包み隠さずに言う姿勢が重要です。信頼を得るための第一歩でしょう。米疾病対策センター(CDC)のリスコミ原則には、迅速、正確、正直などに加え、「市民の懸念や困難に共感を示すことが信頼につながる」とあります。共感は、話に耳を傾けてもらうために大切な要素です。
 リスク比較という手法も要注意です。福島第一原発事故に伴う放射線被曝(ひばく)は、通常の医療被曝や喫煙によってがんになるリスクより小さい、といったリスコミが行われたと思います。科学的に正しくても反発を招きやすいのです。検査や喫煙は自分の意思ですが、原発事故の被曝は強いられたものです。周辺住民にすれば怒りと不信感しかないでしょう。国際原子力機関(IAEA)は原発事故後の報告書で「リスク比較はリスキー」と述べました。性質の異なるリスクの比較は、効果的でないばかりか、人々の信頼を失いかねず、すべきではないというのです。
 今ある危機だけでなく、今後起きうるリスクについても触れておきます。リスコミは普段が大事とお話ししましたが、思い浮かぶのは東日本大震災での「釜石の奇跡」です。岩手県釜石市の小中学校では、震災前からの防災教育で、〈1〉想定にとらわれるな〈2〉最善を尽くせ〈3〉率先避難者になろう――という3原則に従って、津波防災の意識を醸成してきました。発災時には市内の約3000人の児童・生徒が避難し、下校前に亡くなった子供は一人もいませんでした。この事例に限らず、評価されるリスコミは「平時の実践」「当事者参画」という点が共通しています。
 新型コロナのリスコミはどうだったのでしょうか。
 感染拡大の初期、専門家から市民へのリスコミは精力的に行われました。「3密の回避」や「ソーシャル・ディスタンス」が社会に定着したことが象徴です。ウイルスの特性や病気の深刻度がはっきり分からない時期には、リスク回避に強いメッセージを発することは理にかなっていました。
 一方で、長期間に及ぶ自粛の呼びかけは次第に効果が薄れる。東京五輪前後には、感染が拡大する中で流行初期ほど人流は減りませんでした。どうすれば行動制限を続けてもらえるのか、リスコミの課題を突きつけられたのです。
 私が専門家ボードのメンバーを務める「東京感染症対策センター」(東京iCDC)では、1万人調査を含めてコロナ禍に関する都民アンケートを6回行いました。
 その中で「自分が感染対策をすることには効力があり、大切な人の命や社会の安全を守ることができる」と考える「自己効力感」の高い人ほど、外出自粛を含む実際の感染対策を心がけていることがわかりました。対策の「できていないこと」ではなく「できていること」を取り上げて認めたり、努力へのねぎらい・感謝を表したりするなど、知恵を絞りたいです。
 私は2020年春から、リスコミを支援する民間組織の科学コミュニケーション研究所と協働で、市民対話型ワークショップというオンライン会合を30回ほど開催しました。年代も職業も様々な市民からの「聞くリスコミ」です。ワクチン、若者、介護などコロナに関するテーマを掲げ、「良いと思う点」「良くないと思う点」「よくわからない点」を挙げてもらい、一つひとつ記録します。私たちが「スケッチ・ダイアログ」と呼ぶ、この「対話の素描」によって、月日の経過に伴い変化していく市民的論点を整理するのです。
 この活動によってリスコミにも関わる三つのキーワードが浮かんできました。エビデンス(根拠)、サポート(支え)、ビジョン(展望)です。行動変容を促すには「なぜそれをやるのか」という根拠を明らかにし、納得してもらわなくてはなりません。そして、窮屈な生活を強いることに対しては支援を用意している、と具体的に明示することが重要です。さらに、危機の収束に向けての見通しを示すことも欠かせません。
 私たちはリスクなしに社会の中で生きていくことはできません。リスクについて話し合える機会をもっと増やしていければいい、と思っています。そうした場に参加して共に考えていくことで、私たちはリスクに対して主体的に関わることになるでしょう。コロナで言えば、どんな収束が望ましいのか、コロナ後にどんな社会を私たちはめざすのか、未来を展望することにつながるのです。
 ◇なら・ゆみこ 1996年、奈良女子大学大学院博士課程人間文化研究科修了。博士(学術)。住友銀行、大阪教育大学助教授、放送大学准教授を経て2010年より現職。専門はリスクコミュニケーション・リスクマネジメント論。共著に「リスクコミュニケーションの現在」など。
 写真=「リスコミには特効薬的な手法があるわけではありません」と話す奈良教授。「リスコミの本質は当事者が双方向的に共に考え、信頼を醸成していくことです。効果は見えにくいですが、地道に続けます」(千葉市美浜区の放送大学附属図書館で)=鈴木竜三撮影
 写真=奈良由美子氏

※読売新聞社許諾済み