「カード会員誌」に岩永雅也学長と岩崎久美子教授の記事が掲載されました

「カード会員誌(てんとう虫/express)」5月号(2023年5月1日発行)に岩永雅也学長と岩崎久美子教授の記事が掲載されました。新規タブで開く

学び直しの本質
そもそも、なぜ今、学び直しが叫ばれているのか。そのルーツと今に至る時代の変化を知り、
学び直しという行為が本質的に持つ意味、人生における意義を問い直す。
文=岩崎久美子(放送大学教授)
イラストレーション=村田善子
「学び直し」登場 なぜ注目されているのか
「学び直し」という言葉を昨今耳にすることが多くなった。この「学び直し」とはどのような意味を持っているのか。
 実は、わたしたちは意識するかどうかは別にして、日々何かを学んでいる。それは、家事のヒントや旅行の情報など生活を快適に楽しくするための知識もあれば、役所の手続きに対応するための仕組みや制度についての実際的な知識もある。もちろん、今日何を学んだかと聞かれてもすぐには答えられないように、学習は意識されないものもあり、たまたま近所の人から料理のコツを聞くなどの計画性のない偶発的なものを含めれば、その多くは日々の生活に組み込まれた形で行われている。
 しかし、「学び直し」は、このような日常的な学びとは異なる。それは、社会的目的を持った組織化された学習を意味する。
 組織化された学習とは何か。学校の教室で先生が子どもたちに教えている風景を思い浮かべて欲しい。子どもへの学習機会の提供は、義務教育という形で制度化されており、学校という場において組織的に実施される。このことは、白紙の状態で生まれた子どもに文化を伝え、将来私たちの社会の構成員になってもらうために行われる社会による働きかけである。一方、すでに社会の構成員になっている大人に対しては、そのような具体的働きかけは一律には行われない。
 それでは、なぜ組織的で制度化された「学び直し」という学習機会に注目がなされているのか。
「学び直し」のルーツ まずは「生涯教育」があった
 このことを考える前に、まずは、「学び直し」という言葉のルーツを考えてみたい。実は、そのルーツとも言えるエポックメーキングな出来事がある。1965年のユネスコの会議で提唱された「生涯教育」論の登場である。「生涯教育」論は、特定の年齢層に限定されている閉塞的な学校制度を打破し、生涯にわたる教育や学習の機会を保障するといった革新性を持ち、新しい教育政策を模索していた世界の国々に衝撃を与えた。時期を待たずしてOECDにおいて「リカレント教育」論が提示されたのも同様の理由である。
 「生涯教育」論は抽象的なものであったが、OECDの「リカレント教育」論は、教育と労働や余暇などの時期を交互に繰り返す制度を想定し、社会・労働などの総合的な政策を含む具体性を持つものであった。しかし、異なる部分はあるとしても、「生涯教育」論や「リカレント教育」論の背景には、生涯にわたって学習できる環境整備をすることで世代間格差や社会階層間の格差を減少させるとの共通の理念があり、高度経済成長期を背景にした財政基盤がその議論を可能にしていた。そして、「教育」という言葉が象徴するように、提供する主体は社会にあり、「教育有給休暇制度」などにより、成人への学習機会を制度化すべきとの思潮があった。
 その後、「生涯教育」が「生涯学習」という言葉に徐々に置き換わる。そのひとつの理由は、「生涯教育」が、生涯にわたって個人を管理するという受け止め方がされたことがある。学習する判断や自由は個人に帰するもので、学習の主体が学習者個人であるとすれば、自己啓発的な意味合いを持つ「学習」が好ましいと捉えられたのである。しかし、このことによって、大人になってからの学習は、個人の自発性に基づくもの、そして、個人に属する私的事項と考えられるようになっていった。
 話を戻すと、閉塞的な教育制度を打破しようとする動きは、その後高等教育にも及んだ。
 日本の通学制の大学のほとんどは、18歳から20代前半の学生で占められている。あらゆる年齢層に高等教育を拡充する動きは、日本では既存の大学への成人学生の受け入れではなく、独自の大学創設という形をとった。それが1983年に設置された放送大学である。さらにこのような高等教育機会の拡充は、「臨時教育審議会」の議論を経て政策化され、1991年の「大学設置基準の大綱化」による大学制度の弾力化に伴い、既存の大学や大学院の門戸が社会人に開かれることになった。
 このように、この半世紀、大人になってからの学ぶ場は整備されてきた。しかし、学習する環境が社会的に整備されたとはいえ、学ぶかどうかは個人の意思によるものである。実は学びを続けることが雇用の確保、収入、生活の満足度、自己効力感などに影響することが研究等で明らかにされてはいるものの、学習することの恩恵は学習することを望む者だけに限られている。学ぶ者は益々学び、学ばない者は益々学びから離れていく。大人になってからの学びが個人の自発性に基づくものとすれば、学習する者としない者の格差は、年齢を重ねるごとに広がっていく。学ぶことは個人に委ねられている。しかし、学びから離れていく者が不利益な状況に陥る場合には、それを包摂しうる社会的な学習の場が必要という議論が昨今はなされるようになった。
「学び直し」の国際的動向 「リスキリング」のインパクト
 それでは、個人が行うものであったはずの大人の学びというものに対し、なぜ社会的に「学び直し」が喧伝されるようになったのか。
 大人になってからの学びに政策的関心が寄せられるようになったのは、ヨーロッパにおける若年層の失業問題からであった。グローバル化する経済にあっては、経済競争力を高めるために、学校で獲得した能力と労働市場が求める能力とのミスマッチを埋めるため継続的学習が必須とされ、その後の学習によって労働市場で評価される能力(エンプロイアビリティ)を高めることが失業者を減らす、あるいは社会的排除をなくす鍵と考えられたのである。EUやOECDといった国際機関が人的資本論に基づき、政府の経済成長誘導や社会的結合を維持する政策手段として成人期の学習をクローズアップするようになると、成人対象の継続学習・教育が多くの先進国の政策的関心を引くようになった。
 日本では、このような国際的動向を受けて「学び直し」という言葉が使われるようになった。しかし、この言葉は概括的なイメージがあったがゆえに、実際には実践的職業能力向上に目標があったのかもしれないが、当初は大人の学びを広くとらえる言葉として「生涯教育」論や「リカレント教育」論と同義と考える人が多かったと思う。しかし、「学び直し」が、「リスキリング」という言葉に置き換わると、その内容はICT(情報通信技術)やAIの技術などの新しいスキルを身につけた人材の育成、そして産業構造の変化に伴う労働移動に焦点化されるようになっていった。いわば「リスキリング」は、労働市場の求めるスキル獲得という道具的目的の学習である。
学び直しの人間的定義 喜びと希望のために
 目まぐるしい社会の変化に対応し、陳腐化する知識・技能を「リスキリング」するための学習・教育環境の整備は、人々の雇用の確保・維持のためには必要不可欠なことであろう。しかし、人はパンのみで生きるのではない。また、上昇するための競争にずっと参加することは疲れる。
 人生にはマージン、つまり余白のような時間と空間が必要である。大人になってからの自発的な学びは、自分の人生を考える上で付随する息抜きのようなものである。人は自分の人生をより良くしたいという根源的欲求があり、そのために、自分の人生を振り返り、未完の行為の達成、劣等感の克服、人生の軌道修正など、自分の人生を意味づけたいと考える。人が学びを求めるのはそんなときである。
 大人の学びは、人との出会いや対話の形をとることが多い。その理由は、それぞれの人が有するそれまでの生きてきた歴史、その経験こそが、生きることを教えてくれる教科書であり、そのような他者との邂逅こそが大人の学びの真髄だからである。学びを求める人が集う場は、学ぶという目的の下に、年齢、性別、社会的背景などがもたらす差異はなく、中立的で平等だ。異なる経験を持つ人々が、学びという同じ土俵で意見を交わすことで、自分を振り返り、異なる意見やものの見方を知り、自分の価値観や考えを広げることができる。人と共に学ぶこと、そこには新しい何かを一緒に獲得する喜びがある。そして何よりも、人とつながって学ぶことは楽しい。
 今こそ、「学び直し」の豊かな人間的定義が必要かもしれない。なぜなら、「人生を考える機会」としての大人の学びの場は、内外の様々な困難に取り巻かれている私たちに、新たな道を探し出す契機を与え、そしてその先の希望をもたらすものだからである。
 「学び直し」という言葉の中には、人間本来の望みが託されている。社会に大人の学びの場が多数存在し、誰もが学ぶ機会を享受できることは、文化的豊かさを象徴するものでもある。だからこそ、「学び直し」という言葉が大人の学びの様相を広く含むものとして理解され、さまざまな学びの環境が大事に扱われることを願わずにいられないのである。
いわさき・くみこ
1962年宮城県生まれ。上智大学文学部卒業、筑波大学大学院教育研究科修了。筑波大学大学院図書館情報メディア研究科修了。国立教育政策研究所生涯学習政策研究部総括研究官を経て、2016年より現職。内閣府構造改革特別区推進本部評価・調査委員会委員、日本生涯教育学会理事等を務める。著書に『成人の発達と学習』、『生涯学習支援論ハンドブック』等がある。
放送大学、
40年のロマン
 放送大学が誕生したのは、NHKで「おしん」が放映され、ファミコンが発売された1983年。だが最初にその構想が生まれたのは1969年のこと。14年越しの悲願は、文部省(当時、以下同)における「戦後最大のロマン」とまで言われていたという。今年創立40周年を迎える放送大学に託されたロマンとは何だったのだろう。
 1960年代後半、日本の大学・短大進学率は20%前後で、高等教育の拡充が求められていた一方、教育機会の格差を是正し、より多くの人へ高等教育の門戸を広げることも大きな課題だった。そこで期待がかけられたのが、一大メディアとなっていたテレビ放送だった。
 文部省は、十数年かけて放送大学の基本形――正規の大学であること、高校卒業者は無試験で入学できること、学部・学科は教養学的なものとすること、放送授業を中心とすること、ゆくゆくは全国化すること、独自の放送局を持つことなど――を練りつつ、放送授業の実験的試行も行った。1979年、学校設立の根拠となる「放送大学学園法案」が国会に提出され、1981年に可決された。法案提出から足かけ3年、審議にかかった133時間は、それまでの文教関係法案の中で最長だったという。
 多くの時間がかかったのは、既存の大学との棲み分けなど多くの調整事項があったためで、とくに競合する通信制大学とは、放送大学が教員養成課程を持たないことで折り合った。そんななか強くこだわったのが、自前の放送局を持つことだったという。
 「放送を使って遠隔教育を行う公開大学は各国にありますが、自ら放送局を持っている大学は世界的にも珍しいんです。放送局を持つということは、自らの考えを直接社会に訴求する道具を持つということで、それに対する警戒心が一部にあった。しかし民放やNHKに頼ればその影響を受けざるを得ない。教育機関として自由でいるという当初からの理念を貫けたのも、放送大学のロマンと言えるかもしれません」
 そう語るのは放送大学の岩永雅也学長(以下のコメントも同じ)。現在も放送大学教養学部で教育社会学の科目を担当する岩永学長の放送大学との関わりは、1984年に関連施設である放送教育開発センター(当時)に入り、放送大学の番組制作に携わったことが始まりだという。
 「30歳そこそこの若造でしたが、あの大学にああいう良い先生がいると調べては、直接頼みに行きました。皆喜んで引き受けてくださって超一流の先生ばかり揃ったけれど、放送番組を作るというのは誰もやったことがない。1科目を45分×15回の番組にまとめるのに、まず最初に躓くのは構成でした。とにかく自由に語りたいという先生に対しては、自分も必死に著作を読んで勉強して提案するなどしましたね。収録のときも、図版のフリップはこう描いたらどうですかとか、顔を上げてカメラをときどき見てくださいなどと助言して、『それならお前がやってみろ』と怒鳴られたり(笑)。お互い大変でした」
 開講時106科目だった科目もいまは学部だけでも300科目以上に増加。企画・構成から印刷教材の執筆、番組収録まで1科目の制作に3年かけ、最長10年間放送される。とくに画期的なのが15回の番組内容に即して先生自ら書き下ろす印刷教材で、理解が深まると好評だ。さらに定期的に学生アンケートを行いその後の科目制作に生かすなど、教育の質には常に気を配ってきた。近年、オンラインによる遠隔授業が普及し各所で試行錯誤されているが、放送大学には一日の長があると言えるだろう。
 そんな放送授業と並んで大学の核をなすのが、1998年に全国展開が完了した学習センターだ。現在全都道府県に1ヵ所以上、合計57ヵ所あり、学位取得に必要な面接授業や学生のサークル活動の拠点となっている。岩永学長はこの「学生のサンクチュアリ」である学習センターを守りながら、今後はさらに地域との連携も図っていきたいという。
 「一つは、地域の専門学校と連携協力の提携をし、専門学校に通いながら放送大学で学位も取得できる制度。これはすでに数千人の実績があります。もう一つは、アメリカのコミュニティカレッジのような使い方。アメリカでは地元の学費の安いコミュニティカレッジで2年教養課程を学び、有名私大や地元州立大学などへトランスファー(編入)するシステムがあります。このように、地元の学習センターを拠点に放送大学の教養課程を学んでから、他大学へ編入する流れが作れればと考えています。放送大学は在学にはお金がかからず、科目ごとに学費を払うので、うまく活用することで教育費を大幅に軽減できます」
 学習センターというリアルな場所の価値は、「学びのセーフティネット」として今後ますます高まるだろう。
かつては学位取得を主目的とする学生が多かったが、現在は大卒の入学者も多く、学生の職業も学ぶ目的も多様化している放送大学。2015年からはBS放送、ラジオに加えてオンライン授業の科目がスタート。また社会的要請を受け、職業人教育や専門的資格教育へのアプローチも進めるなど進化の途上にある。それでも変わらぬ放送大学の学びとは何だろうか。
 「いま話題のChat(チャット)GPT(人工知能を使った文章生成サービス)は卒論も書けるし司法試験にも合格するレベルだそうです。では人間にできることは何かといえば、『問いを出す』ことではないでしょうか。問いを出すことは、その事柄に関して主体的に取り組み、考え、疑問や問題意識をもち、またどのような答えの可能性があるのかまで思い至らなければできません。知識があっても問いかけができなければそれを生かすことはできないのです。20世紀初めにアメリカの教育学者デューイが、教育の目的は学び続けようとする人を育てることだと言っています。学ぶということは、自分が経験的に身につけた考えに対して新しい情報がぶつかり、そこで起きる葛藤を自分なりに調整して真実に近づいていくことです。ここではそんな学びを身につけてもらいたいと思います」
 教養さえ時短を求められる風潮に抗い、真摯に学ぶ人に寄り添う。学びへの信頼こそが放送大学の変わらぬロマンなのだろう。
独自の放送局を持つ公開大学は珍しい。
いつでも、どこでも、だれでも。
学びを支えるセーフティネットとして。
放送大学を知る10項目
1.文部科学省・総務省所管の正規の通信制大学
2.学位を取得(大学卒業)する全科履修生と、興味のある科目を履修する選科履修生(1年在学)、科目履修生(半年在学)、さらに大学院(修士課程・博士後期課程)がある	※大学院(修士全科生・博士全科生)は選考試験あり。
3.高校卒業等の資格を満たせば入学試験なしで全科履修生に入学できる 
	※入学は4月・10月。※高校卒業等の資格がなくても全科履修生に入学できる道もある。
4.全国で約8万5千人が学び、男女比は半々。年齢は10代から90代以上まで幅広く、40~50代は41%、60代以上は26%(2022年度第1学期)
5.全科履修生は教養学部教養学科の[生活と福祉コース][心理と教育コース][社会と産業コース][人間と文化コース][情報コース][自然と環境コース]から1コースを選択する
6.大学卒業までにかかる学費は70万6,000円~ 
	※国公立大学の1/3。※1年次入学の場合。
7.BSテレビ・ラジオやインターネットで視聴する放送授業、面接授業(スクーリング)、オンライン授業で学ぶ。2021年度より新たにライブWeb授業がスタート	※面接授業は必須ではなく、放送授業とオンライン授業のみでも卒業できる。
8.取得できる資格は教員に関する資格(現職教員の上位の免許状など)、看護師に関する資格、心理学に関する資格など
9.履修証明制度に基づき履歴書にも記載できる学習プログラム(福祉、健康、芸術、宇宙、工学など)もある
10.2023年度に放送大学本部に「放送大学資料館(仮称)」を設置予定
写真1枚目:開講当時の放送授業収録風景。教師、制作スタッフ、撮影ディレクターの協力体制を長年築き上げてきた。
写真2枚目:1985年4月、開講初日の放送第1号。
写真3枚目:1984年12月から学生募集を開始。募集ポスター第1号。
写真4枚目:放送大学の岩永雅也学長。1953年佐賀県有田生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。放送大学教授等を経て2021年より現職。専門は教育社会学。
写真=山口卓也
写真5枚目:千葉県幕張新都心にある放送大学本部(上)と附属図書館(下)。放送大学マスコット「まなぴー」(下)は放送大学卒業生で漫画家のこうの史代さんのデザイン。
写真=山口卓也
写真6枚目:学習センターでの面接授業の様子。主に土日に開講される。

※株式会社アダック「てんとう虫/express」編集部提供

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