放送大学は放送とオンラインの遠隔手段によって教養教育を行い、入試をせず、15歳以上のすべての人に教育の機会を提供するopenな生涯学習機関で、放送大学学園法と放送法の二つの法律による規制を受ける特殊な私学です。
このような特殊な教育機関としての放送大学の存在を支える社会的需要が、どこから生じて来るのでしょうか。日本社会を構成する多様な人たちが、対面ではなく遠隔授業によって、生涯学び続けたいという意欲を持ち、学生として学ぶ選択をすることからその需要は生じています。では、なぜ9万人にも及ぶ人々が生涯にわたって学生として学び続けたいと考えるのでしょうか。人が放送大学に学費を払い、多くの時間を費やして学習をすることの、総コストを上回る利益があると考える、利益の核心にある価値は何なのでしょうか。
学ぶことによって得られる実利の存在がまず考えられます。様々なことについて知識を得て、それを将来の経済的な利益に結びつける、ないしはその可能性を高めることは、すべての人が学費をかけて学ぶ大きな動機の一つです。通学制大学の学生の基本的な動機もそこにあり、実利は本学の相当数の学生の皆さんにも当てはまる答えです。通信制の学生であることは、職業生活との両立を可能にし、それが本学のメリットでもあります。
しかし、放送大学では、定年退職をした後に90歳を超えてもなお学び続ける人がいます。そのような人々の存在は実利だけでは説明がつきません。そのような学生層の存在こそが、本学を他の大学と異なる独自の存在にする要素ですし、その価値は実利を求めて学ぶことの根底にも存在するものだと考えます。経済的な実利に結びつかない学ぶことの利益、大きなコストをかけて学んでいる個々の瞬間を、他の選択をする以上に価値のある瞬間だと人が感じる価値の中身は何なのでしょう。
私は、その価値の中核にあるものは、学ぶこと自体に内在する喜びだと考えます。ではその喜びはどこから来るか。
人間の知的な好奇心が満たされること、それと不可分の、学ぶことを通じて自らが、なんらかの意味で、より良い存在に変わりうることの予感ないしはその実感ともいうべきもの、それが学び続ける一瞬一瞬に大きな充実感を与える根源的な要素ではないかと、私は考えます。
ここから放送大学の教える側の道が見えて来ます。個々の授業科目が、皆さんにそのような充実感を与えうるものであること、その充実感をより一層高める工夫をこらし、改善を目指して努力すること。同様に、本学の学生の皆さんの多様な実利の期待に応じうるように、柔軟に社会の変化を反映する教育の体系を教養教育として構築すること。
放送大学の教育内容をそのようなものにすべく教職員は努力を傾注します。皆さんも放送大学学生であることを大いにエンジョイし、それぞれの人生の充実に役立ててください。