「佐賀新聞」に岩永学長の記事が掲載されました

2024年3月3日付「佐賀新聞」に岩永学長の記事が掲載されました。新規タブで開く

<ろんだん佐賀>佐賀の存在感 絶対的アイテムとアピール不足?
放送大学長 岩永雅也さん 
 前回(1月21日付)の終段で、県外の人々から見た佐賀の歴史的(特に明治維新前後の)プレゼンス(存在感)について書いた。その際、作家司馬遼太郎の維新小説群から『翔ぶが如く』、『世に棲む日々』、『竜馬がゆく』、『歳月』を例に挙げたが、それは前3作が、西郷隆盛と大久保利通、吉田松陰と高杉晋作、そして坂本竜馬をそれぞれ主人公とするNHK人気大河ドラマの原作となったのに対し、佐賀脱藩浪人(後に初代司法卿)の江藤新平を主人公とした『歳月』は、これまで単体では映像化さえされていない事実を踏まえてのことだった。
 江藤も含め、司馬作品の主人公たちには悲劇的な最期が待ち受けており、それ故、小説の題材として魅力的だったと思われるが、討幕運動を主導した「薩長土」のヒーローたちが人々に愛され大衆を糾合して社会の流れをつくり去っていったのに対し、藩としてそれらに遅れて維新の担い手の一員となった「肥」のヒーロー江藤はあまりにも突出した孤高の鬼才であった。今日の佐賀の印象の薄さがそれだけに起因するわけではないのだが、地域の歴史的シンボルとなるような人物の大衆的魅力や人気は、決して無視することのできない要素である。そうした大衆的魅力の欠如は、大隈重信や副島種臣、大木喬任など江藤以外の才ある佐賀の偉人たちにも共通しているように思えてならない。
 さて、そうは言っても、そのことが現代にいたるまで佐賀の存在感の薄さ(失礼)をすべて規定しているのかといえば、もちろんそうではない。現代に生きる私たちは、歴史よりも直接触れることのできる生きた情報から地域のプレゼンスを感じ取ることが多いからである。
 佐賀の生きた情報としては、他地域と同様、自然、文化財、産業・物産、レジャー等に関するものが主となろう。思いつくままに挙げてみても、自然は「虹の松原」、「波戸岬」、「有明海」など、文化財は「吉野ケ里遺跡」、「祐徳稲荷」、「唐津城」など、物産は「陶磁器」、「茶」、「イカ」、「ミカン」、「イチゴ」、「佐賀牛(2007年の但馬牛への偽装事件は悔しかった)」など、そしてレジャーは「国際熱気球大会」「三大温泉」などと、数と広範さは決して他地域に劣っていない。付け加えれば、それらはすべて私の「大好物」である(私が思いついたのだから当然だが・・・)。
 あえてもう一つ個人的な好みで追加すれば、「竹崎のガニ」だろうか。10代半ば頃の帰省時、叔父といった太良の海辺の店で黙々とかぶりついたあのオスガニの味が今でも忘れられない。ちなみにその叔父は91歳で市議に初当選した風変わりな人物で、一族のスポークスマンでもあった。2020年、惜しくも市議2年目にして他界したが、本望の人生だったと思う。
 閑話休題。そうした豊富なアイテムがありながら、なぜ佐賀の存在感が全国的に高まらないのか。単純に考えて、理由は二つあろう。一つは、「桜島」や「出雲大社」、「北アルプス」といった一つでも他を圧するような「絶対的アイテム」に欠けること、もう一つは、アピールの不十分さである。前者は所与のもので今更どうなるわけでもないが、後者はまだまだ検討の余地があるテーマである。次回、そのあたりを考えてみよう。
 いわなが・まさや 1953年嬉野町生まれ。就学前に千葉転居。筑波大附属高―東京大卒―同大学院修了。大阪大、放送教育開発センターを経て2000年に放送大学教授。21年から放送大学長。専門は教育社会学。チョウ、馬、自転車、農作業など趣味は雑多。千葉市。

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