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山形学習センター 平成26年度 URL:http://www.sc.ouj.ac.jp/center/yamagata/
プロジェクト名:"県都山形の町づくりの原型となった"「近世山形城シンポジウム」
1.プロジェクト概要

近世山形城は慶長年間に57万石の大名となった最上義光が造り、元和8年に新たに入部した鳥居忠政が大改造したといわれ、県都山形の町づくりの原型となったとされる。その近世山形城をテーマに、2014年12月7日(日)午後1時30分から、霞城セントラル3階の山形市保健センター視聴覚室において公開シンポジウムを開催した。最初に元九州国立博物館副館長の宮島新一氏が「山形城本丸御殿と障壁画」のテーマで、次いで山形市教育委員会社会教育青少年課主幹の齋藤仁氏が「発掘された近世の山形城」の演題で講演した。その後、城館跡研究者の保角里志山形学習センター事務長の司会で自由討議を行い、会場から活発な議論がよせられた。また、会場の一角では、近年の発掘調査でみつかった山形城跡出土品の展示会も行われ、山形県内一円から105名の参加者があった。

*実施体制(主催、共催、後援等) 主催:放送大学山形学習センター
共催:山形市教育委員会、放送大学山形同窓会、ゆうがくの会
*事務局体制(人数等) 山形学習センター所長ほか2名、放送大学山形同窓会5名
2.プロジェクトの成果
宮島新一氏は山形城の本丸御殿とは、鳥居忠政の父が討死した伏見城御殿を移したとの説を各種史料からお話しし、また齋藤仁氏は山形城の石垣は鳥居氏時代のものであると発掘調査からの成果を報告した。山形城跡は最上義光が造ったのが残っているとの通説にたいして、各種の史資料からは鳥居氏整備とみられるとの話は説得があり、参加者に歴史の面白さを教え感銘を与えたと考えられる。また、今回のシンポジウム開催にあたってはチラシを作成し、県内の図書館、会館、学校などに配布し配架や回覧いただいており、放送大学の認知度向上に寄与した。さらに、シンポジウム実施では、放送大学山形同窓会が全面協力し受付・会場整理などを行い、終了後には両講師を囲む懇親会を開催してくれた。同窓会会員の皆さんの連携と、会の活性化にも役だったと思われる。
3.プロジェクトの課題
講演会の後、多くの方が席をたち、自由討議では熱心な方しか残らなかった。昨年開催した「山形の縄文フォーラム」でも同じ現象がみられ、今後の開催では工夫が必要かと思われた。
4.今後の展開計画
多くの参加者のあった今回の「近世山形城シンポジウム」の今後の展開として、来年度、近世山形城関係の面接授業を企画し実施したい。
5.参加者の感想

私の住む東根市長瀞には、最上義光の弟の「義保」が築城したと推測される長瀞城があります。長瀞城は、長瀞集落(600戸程度の農村集落)の殆どが「総構」の中に収まる程の大規模な輪郭式の平城で、現在も「二の堀」といわれる水堀が遺存しています。この事から私は、長瀞城は近世初頭に最上氏によって築かれた城郭群の一つで、このシンポジウムで取り上げる「近世山形城(特にその基となった近世最上時代の城)」と同系列の城であると考えていたところです。したがって、この「近世最上氏山形城」がどのように改造され現在にみられる「近世山形城」になったのかを知ることで長瀞城の姿がさらに鮮明に見えてくると期待しながらシンポジウムを拝聴したところでした。

シンポジウムでは、宮島新一氏から「山形城本丸御殿と障壁画」の研究成果として、「鳥居氏の山形城本丸御殿は、元々は徳川氏の再建による伏見城御殿を移築したものでは」との説をお聞きし、宮島氏の城郭建築についての研究の精緻さに感心したところでした。また、齋藤仁氏は、山形城本丸・二の丸の発掘調査を通じて「現在見られる石垣の構築技術は、鳥居氏の時代のもの」とのご指摘と、縄張りでは「近世最上氏山形城」の塁線の堀跡が発掘で発見され、それが「最上氏時代の絵図」の塁線と一致する事などから、鳥居氏は最上氏の城郭を基に拡張整備したと指摘されました。まさに、発掘による歴史検証の醍醐味を感じることができる期待した通りのシンポジウムでした。

私は、今回の放送大学による同様の企画である「置賜の城」や「北村山の板碑」なども拝聴しましたが、いずれも一流の講師陣による時機を得た放送大学ならではの企画と感心しているところです。小生も現役をリタイヤし時間に余裕を見つけ歴史を体系的に再学習する必要に駆られたシンポジウムでした。

6.写真
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飯澤所長あいさつ
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齋藤講師講演
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宮島先生講演
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自由討議の様子
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山形城展示解説
 

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