「朝日新聞」に広島学習センター修了生の記事が掲載されました

2024年11月10日付「朝日新聞」に広島学習センター修了生の記事が掲載されました。

【ひとひとワイド 広島 栗原貞子 研究7年の成果 自著が日本自費出版文化賞部門賞に 松本滋恵さん】
朝日新聞 2024年11月10日 朝刊
「生ましめんかな」などの作品で知られる原爆詩人、栗原貞子(1913~2005)を7年かけて研究した成果をまとめた著作「行動する詩人 栗原貞子」(23年出版)が第27回日本自費出版文化賞の部門賞(研究・評論)を受賞した。
 元々研究者だったわけではない。21歳で中央大の通信教育課程に入ったが、仕事との両立が難しく中退した。主婦だった32歳の時に交通事故で夫を失い、小学校の給食調理員として働きながら3人の子を育てた。
 大学に行きたい気持ちはずっとあった。一念発起し、定年を前に59歳で放送大学へ。大学院修士課程にも進み、被爆体験を文学作品に残した原民喜と峠三吉をテーマに修士論文を書いた。博士後期課程は広島女学院大へ。同大の「栗原貞子記念平和文庫」に通いつめ、77歳で博士号を取った。
 原爆文学をテーマとした理由は自身の被爆体験だ。原爆投下前日の1945年8月5日は爆心地に近い左官町で時計店を営んでいた伯父宅で過ごし、夕方に江波の自宅へ。翌日、祖父や伯父夫婦ら4人が原爆で亡くなった。1日の違いが運命を分けた。「原爆から生かされている」と今も強く思う。
 博士論文は栗原がGHQのプレスコード下で刊行した詩集「黒い卵」や日本の戦争加害と向き合った「ヒロシマというとき」などを取り上げ、創作意図や時代背景などを読み解いた。
 2年前、亡くなった弟の自宅から、81年前に太平洋のパラオ沖で戦死した父の遺品「支那事変従軍記章」が見つかった。日中戦争への従軍を顕彰する記章だ。
 「敵を9人殺した自分は畳の上では死ねない」。父がそう語っていたと生前の母から聞かされたことを思い出した。「やっぱり私も加害者じゃないか」
 栗原は軍都だった広島は加害者でもあると訴えていた。「戦前から反戦を貫き、加害責任をも問い続けた栗原のことを知ってもらいたい。」本を出版し、改めて願っている。(柳川迅)
松本滋恵さんプロフィール
放送大学では21年かけて教養学部の「生活と福祉」「発達と教育」など全6コースすべてで学位を取得する「グランドスラム」を達成した。被爆者らでつくる「ヒロシマを語る会」に加わり、今年5月から証言活動にも携わる。
写真1:著書を紹介する松本滋恵さん 
写真2:松本滋恵さん(左から2人目)の学位授与式での記念写真=2019年3月15日、広島市東区、松本さん提供

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